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ポカラのちか子さん

ネパールの丁度中央あたりに、湖畔の町ポカラがある。
カトマンズについで多く旅人が集る場所。アンナプルナ峰の周囲を
周るトレッキングコースの入り口であり、カトマンズよりも人も車も
少なく、のんびりしているのでリゾート地としても知られる町だ。

私も何度か訪れた。トレッキングの疲れを癒すために、あるいは
地域開発のプロジェクトのフィールドワークだったりと、その度に目的が
違ったりしたけれど、いつも湖の静けさが迎えてくれた。

その町に一人、大切な友人がいる。

広島出身のちかこさん。Mum's Garden Resortのオーナー&おかみさん。
そして、ネパール人のご主人との間に生まれたミナちゃんのママでも
ある。たまたま人づてに聞いて訪れたのがこのホテルとの出会いだった。
そして、私はこのこじんまりとしたセンスのいいホテルに一目惚れをした。

ホテルのほめ言葉を述べれば尽きない。ポカラ周辺で採れる石を壁や
床に使い、ネパールで作られる陶器や綿織物などでインテリア・コーディ
ネートされた部屋はその土地としっくり馴染んで、気持ちがいい。
ネパールでは当たり前の小さい窓に鉄格子ではなく、大きな窓の
向こうにマチャプチャレが絵のように眺められる。ブーゲンビリアが咲く中庭で
お茶でもしようものなら、時間が止まったような感覚になる。

のんびりとしたネパールでは人懐こい人々とのふれあいに旅人は癒される。
しかし、そこに住んで、一緒に何かを作り、仕事をするとなると話は別だ。
ほとんどのことが思いとおり運ばない。書きつくせないほどの複雑な状況がある。
そんな場所でこのホテルを作り、経営をしている彼女はただただ凄い!と感心した。

朝ごはんを中庭で食べてると、ちかこさんが「いいですか?」と付き合ってくれた。
こんなホテルを作った人はどんな人なのかと興味深々でインタビューしたと思う。

最初の衝撃は同い年だった事。そして結婚していてもこの国でしっかり
経営者としての立場で滞在している事。そして、もう一つはご両親を既に亡くされて
いた事だった。淡々と語る彼女はとても落ち着いていて、自分の軸を持っていた。
30代前半期をもがいていた私のとってはガツンと来る出会いだった。
どちらかといえば細くて華奢な体つき。正に細腕一代記。かっちょいい!と思った。

その出会いから7-8年経ったかな。思い出したように連絡が来たりこちらがしたり。
ちかこさんはポカラで、私は東京でそれぞれの時間を過ごしている。

最近のブログで、彼女も本質的な世界への探求を深めている。
こんなにも環境の違う日常の中で、同じ方向を見つめて歩いている事を確認できる
のは本当に嬉しいと思うし励みでもある。

お互い日々忙しく過ごしているけれど、いつか時が満ちたときにそれぞれの時間を
持ち寄って、コラボレーションしたいと思っている。
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テーマ : 旅日記 - ジャンル : 旅行

言葉のカタチ

最近、養護学校の先生であり作家でもある山元加津子さんの
「宇宙の約束」という本を読んだ。テーマはかなり深く重いこと
まで至るのに、とっても柔らかで素直な文章で伝えてくれる。かつ
大学の専攻が理系だっただけに、裏づけはとてもしっかりしていて
説得力もある。たくさんの「気になること」が書かれていた本だった。
その中に一つに、とても興味が湧いた。

養護学校に通う子供達はいわゆる「知的障害」などを持つ。
でも、障害とはあくまでも「正常」と名づけた「標準」があるという
前提での話で、実は障害ではなく個性であったり突出した能力
だったりする。本の中でその子供達のことに触れる一説の中で
「言葉のカタチ」を見られる子がいるとあった。

別に語学を学ぶわけではなく、知らない国の言葉を聞いたり
見たりしてもその意味が「見える」のだそうだ。その子にとって
言葉はカタチとして伝わり、違う国の言葉でも意味がわかるという。

その子曰く例えば「ありがとう」なら、あるカタチがあって、それは
他の国の言葉で「ありがとう」を意味する言葉と同じ形なのだそうだ。

昔から「言霊」というように、正にその子はこの言霊を見ているの
かもしれない。よくよく考えれば言葉は確かに言葉から生まれた
わけじゃなく、人間がそこに在るものに「名づけ」て生まれ、体系化
されてきたのだろう。最初は多分「あー」とか「うー」というような「音」で
しかなかったはず。

その音に思考や物質的な情報や感情、そして本質的な情報などなどが
乗っかって「言葉」が生まれてきた。

「言葉」の前に「言霊」があった。
当たり前のことのようだけれど、目から鱗が落ちた。

私の場合、ここでまたフラメンコへと繋がるのだが、日本はスペインに
次いで二番目にフラメンコ人口が多い国なのだそうだ。その中で恐らく
多くの人がスペイン語は理解しない。これは、自分も含めて謎の一つ
でもあったけれど、言葉の「意味」が分からずでも、観ずることがあって
こうして踊ったり歌ったりすることはその「言霊」に触れているからなの
かもしれない。

山元加津子さんのブログ

テーマ : スピリチュアルライフな生き方 - ジャンル : ライフ

フラメンコとホ・オポノポノ

フラメンコに「ソレア」という曲趣がある。

「寂しさ」や「哀しさ」、「孤独」というような質を持つ曲趣。
フラメンコの中でも「フラメンコの母」と言われるように重要な曲種の一つであり、
実際多くのフラメンコを愛する人たちの中で特に大切にされていたりする。
ここしばらく改めて私もソレアに取り組んでいて、踊れば踊るほどにその
懐の深さにはまっていく。

4年程前に現在ヘレスに住む踊り手の飯塚真紀さんから初めてソレアを習った。
そのクラスの中で、彼女が語ったことが今でもリフレインする。

「このソレアの哀しみや寂しさというのは、例えば誰か一人の寂しさということでは
ないの。私たちというか、世界中、あるいは人類全ての底にあるもっとおっきくて
共通のものなんだよね。

その深い深い哀しさの中にずーっと落ちていって、いつしか底に着いた時、その底を
一気に蹴り上げて上に上に上がって、そして明日も生きていく!みたいな力強さを
私はソレアに感じるんだ。」

この言葉を聞いた時に、私がフラメンコに魅了されてやまない理由がここにあるんだ
と思った。これぞ、究極の癒しだよなあと。

ついつい「悪者」扱いをされがちな孤独・哀しさ・怒り・嫉妬といった「ネガティブ」な
感情。フラメンコでは、この「悪者」さんたちを歌い上げ、あるいは踊りながらそのま
ま表現する。自分の中にあるその感情をそのまま。「底」に来た時、その感情は
転換されて命の糧となる。自分を縛り付けていた感情からの解放と内から沸いて
くるエネルギーに包まれる。

歌詞の意味も分からず、でも、鳥肌が立ち涙がこぼれるのは、恐らくこのプロセス
に出会うからなのだろう。

今、ホ・オポノポノに出会ってもう一度この言葉を反芻してみると更に納得。
というか、とてつもない真実に出会ったような興奮さえ覚える。

フラメンコを歌う、踊るということはホ・オポノポノすることでもあるのでは
なかろうか。多分フラメンコに限らず、芸能の根本はここにあるのかもしれない。
悔恨と祈りとエネルギーの再生と、そんなこととはつゆ知らず踊っていたけれど
4年前に届いていたメッセージの意味が今、腑に落ちた。

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悪者を作らない

ホ・オポノポノを実践する中で思いついたこと。

つまり、「悪者をつくらないということ」だ。
これは本当に大切な事。

世の中には正義と悪が存在し、私たちはその正義を信じればこそ
悪を退治できると、どこかで本気で思っていると思う。だから
私たちは善きことを常に考え、行動する善き人にならなければならないと。

善き人であることの心地よさと、「正しい位置」に立っているという自信は
世の中では評価も受けるし、わかりやすいから思い悩む必要もない。

この気持ちよさは麻薬なんかよりもずっと中毒になりやすいかもしれない。

でも、よくよくその立っている位置を見直してみると、それは「悪者」が
その下に居る。つまり、「悪者」が善き人を支えているのだ。
善き人になるには、「悪者」が居ないと成立しない。よって善き人達は
「悪者」を作りだす。

学校の教室で、家庭の中で、会社で、そして国家間や民族の間で
繰り返し、繰り返し「悪者」を作り出してはその上に「正義」や「善人」が
生まれてきた。時には、自分自身を「悪者」にすることで、家庭や社会に
居場所を作り出すこともある。ちょっと辛いけど、それでもすくなくとも
善き人たちから、自分の存在を認めてもらえるから。哀しいけれど。

恐らく、この二元論をベースにしたまま世の中を見つめても何も変わらない。
一つ一つの存在をまず肯定してみる。そこから、始まるのだ。
ゼロになる、ということの第一歩かもしれない。

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ホ・オポノポノに出会う (2)

新宿にある会場は200名余りの参加者で満席御礼となっていた。
地味なアロハシャツに黒いパンツ、ベールボールキャップという
いでたちの「おじさん」、その人がヒューレン博士。

まずは『私は誰なのか。』というところから。

『私たちは本来「無」であり、ゼロのポイントに在る。
そこは自由であり、完璧な健康と幸福と言う状態。
ここに在れば、天と繋がり努力や忍耐ということはなく、
この世に生を受けた目的を難なく果たすことができる。』

必要なものは必ず与えられるという場。
そして、私たちは誰しも自分達の自由意志でそこに行くことができる。

『「問題」や「悩み」というのは全て過去の記憶の再生に過ぎない。
その再生された記憶を手放し、クリーニング=ホ・オポノポノ
することでいつでも私たちは「ゼロ」に戻ることができるのだ。』

その方法は簡単 。

『ただただ、自分自身の本質に「ごめんね、ありがとう、大切だよ
愛しているよ」と語りかけることだ。』

2時間の講演で最初の15分でここまでのお話だった。
いきなり核心から始まり、でも伝わってくることはとてもシンプル。
しかし、頭で理解しようとし始めるとよく分からなくなってくる。

理解したいと思う方々が質問をする。自分以外の物や他者の問題と
自分の関わりや責任について「理解」することがなかなかできない。

すると、博士の一言。

『知る由もないことを知ろうとする必要はない。
私たちの意識が「知っている」と思っていることは全体に対してほんの
わずかにすぎないのだ。

潜在意識の情報処理能力は意識の情報処理能力は毎秒15ビットの
演算速度に対し潜在意識の情報処理能力は、毎秒11,000,000ビット
の演算速度。これだけ差があるのだから、意識は潜在意識で起こっている
ことがらは捉えられるはずもない。』

両者を仮に%で比較すれば、15÷11,000,000×100=0.000136%

確かに、人智を超えることを全ての1%にも満たない範囲で理解できないのは
仕方がない。だから、そこに委ねるということが大切なのだろう。
ふわっと、開放感 を感じた。

『「問題」はあくまでも「記憶の再生」によって創られるものであって、
その個体そのものが問題ではないということ。完璧な存在に「記憶」という曇りが
ついて、本来その個体が持つ輝きを表現できていないだけなのだ。』

100%の肯定。なんと優しいアプローチか。希望が湧いてくる。
同時に、問題の根っこの一端が自分の中にも在るという現実を受け入れることは
一つの覚悟でもある。

『そして重要なのは、自分の中におきている「記憶の再生」は自分以外
の「記憶の再生」にも影響していると言うこと。』

ここに、ポイントがある。
自分を責めていることは、他者にもその制限を与えると言うこと。
誰かさんの問題が気になるということは、そこに自分の「記憶の再生」
があるということ。だから、自分の「記憶」をクリーニングすることが、
他者の「記憶」をもクリーニングすることになるのだ。

別の言い方をすれば、「問題」を「問題」として創りあげているのは誰なのか。
「問題」だと指を指している人の意識の中にその問題はまず生まれる。
そこが働きかけをする対象なのだろう。

・・・直感として落とし込んだものを言葉で説明する事はなんと難しいことか!
でも、深いところで響いている。これが大事な事。
あれこれ言わず、まずは、ホ・オポノポノ

「ごめんね、許してね。大切だよ、ありがとう」と 繰り返してみる。

そして、愛してるよ、と。

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ホ・オポノポノに出会う (1)

ハワイの古くから伝わる問題解決の方法、ホ・オポノポノ。

一年位前かハワイの精神医学の研究家であるイハレアカラ・ヒューレン
博士の触法精神障害者病棟での実践(「世界一風変わりなセラピスト」
下にリンクあり)についてのレポートを読んだ。

荒廃した患者や職員を誰一人診察することなく癒したという。
彼がしたことは患者のカルテを読んで、彼自身に内側に向き合い
その人の病気を創りだした「彼自身の責任」を見つめて彼自身を
改善することで患者達が治癒していったそうだ。

祈りの力はパワフルであることはこれまでも経験してきた。
ことに、他の人におきている問題に対してこれまで対峙してきた中で
最後はやはり、その人の生きる力を信じて祈るしかないとそうしてきた。

しかし、このレポートを読んだ時にもう一歩踏み込んだ関わり方が
あるということを知った。

ずっと気になっていたところにあの秋葉原の事件が起きた。
恐ろしいと思うと同時に、何かやるせない思いが湧き上がった。
犠牲者の方々のやるせなさと加害者のやるせなさと。
今、世の中で起きていることに対して自分はどう関わっているのかと。

もう少し知りたいと調べていくうちに博士の来日を知り、その講演会
へとでかけた。

世界一風変わりなセラピスト

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お金のはなし

一年前に引越しを機に思い立って改めて「お金」の管理を始めた。

恐らく、世の中の社会人のみなさんは普通にしていることかもしれないけれど、
独り身の気楽さで入ったものはそのまま流れていくという生活をしてきた。
が、毎月給料前には

「はて、一体どこに消えたのか・・・」と、やんわり「これでいいのか」モードに
陥っていた。

まずは日々の出納張をつけ始めた。余り細かくしても続かないし、
残金を数えていると合わなければ気になってしまうだろうと、あくまでもデータを
取るためにざっくりをした内容で。

一年経ち、あまりの計画性の無さに自分でもあきれ返り、一念発起。
給料日に向こう一ヶ月のスケジュールを見ながら各項目の毎月の予算を計算し、
それぞれ封筒に分けて必要な分を都度、そこから出すようにした。

資産運用や将来の人生設計の為に計画的にお金を貯めようという目的では
ないので、特に予算を削ったりするわけではない。ただ、出て行くお金の意図を
はっきりさせることにしたということ。

お金は最も分かり易いエネルギーの形。
自分が何に対してどこくらいのエネルギーを使おうとして
いるのかがとてもはっきりした。すると、なんだか自由になった。

以前は、どこかで後々のことを気にしていたなあと、今になって思う。

この方法にして何が最も有益だったかというと、意図がはっきりしている分、
すっきりとお金を使える。以前、漫然と支払っていた時よりも、今、必要なことを
100%享受できるようになった。

恐らく、向こう一ヶ月という期間も今の私には丁度いい。

あまり先々のことを考えて今必要なこと、得たいことを我慢してケチになるのは
とても「もったいない」。

人生は何が起きるか分からない。だから、大きな流れは天に任せる方がいい。
かといって、既に見えていて分かっている予定に対しての準備をしないというのは
やはり自分の首を絞める。

『今』に在るために、これも一つの方法だと思う。

支払うお金をどんなエネルギーにするかは使う人次第。
ワクワクしたエネルギーが乗ったお金は受け取った人にもワクワクが伝わり、
周りまわって自分にも返って来る。

これがエネルギー循環の法則 - 別に科学的根拠はないけれど。

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「スピリチュアル」ということ

『スピリチュアル』と言う言葉がここ数年、随分と市民権を得てきた。

「あなたもスピ系ですか?」 「私、スピリチュアルなんです~。」
なんてことを耳にすることも日常茶飯事になってきた。

とはいえ、全て肯定的なニュアンスではなく、まだまだいぶかしげに
「それってスピリチュアル?」などとちろっと横目で見られたりもする。

あるいは「私はスピリチュアルじゃないし~」とか「スピリチュアルは苦手で・・・」
と言われることも度々ある。

テレビ番組の影響で「オーラを読む」=スピリチュアルと捉えている方々も
多く居ると思う。あるいは、手からエネルギー出したり、過去生を見たりと、
何か特殊な能力の上に成り立つ現象というイメージなのかもしれない。

それは間違いではないけれどとても偏った一面だと私は思う。

私がここで使うスピリットという言葉が表わすものは
私たちの命の根源であり、生命活動そのもの。
夏の夜のお墓に出るヒトダマのようなカタチを持つものではなく、
全ての存在に流れる本質。

その本質と常に共に在ること、それがスピリチュアルに在るということだと思う。

最も分かりやすいスピリチュアルな行為は呼吸。
生きている以上呼吸をしなくては活動できない肉体を持つ身としては
苦手などとは言ってられないのである。

生きる事を考える時、あるいは自分の心と向き合う時、
それは全て「スピリチュアル」な活動だと私は思う。

神棚に祭るわけでもなく、怪しいものとして後ずさりするでもなく、
日々生きる日常に中にある淡々とした生命の営みとワンダーと共に、
『スピリチュアル』で在りたいと思う。


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徒然に・・・フラメンコを踊ること

フラメンコを始めたのは9年前の10月。
30歳にして会社員となり一年が過ぎた頃。

何故、始めたのかは後付で色々言えるのだけれど
生まれ変わったらダンサーになりたいとある人に言ったら
今からやればいいじゃない、とさらっと言われた時に
「そうか。」と思ったのがきっかけだったかもしれない。
何にしても、結構きっかけはそんなもんだ。

とはいっても、本気で「踊り手」になるとはもちろん考えず、
いつかセビージャの春祭りに行って地元の人と踊れればいいなあ
とセビジャーナスを習うために週一回カルチャースクールに通い始めた。
3ヶ月でやめるかもしれないから靴もスカートも買わず、スニーカーと
短パンといういでたちで。

最初は鏡に映る自分の姿が恥ずかしくて仕方なかった。
片足ずつ続けて踏み鳴らす足がよたよたしてできない。
ブラソ(腕)をあげてみればおサルのごとく。
できない悲しさよりも、あまりに可笑しくて自分でも笑ってしまうくらい。

それまで、器用貧乏でそれなりになんでも器用にこなしてきたけれど
こればかりはそんな訳には行かない。器用貧乏は壁にぶち当たると弱い
のだけれど、必死に毎週一時間余り身体を動かす度に、終わると頭も身体も
すっきりしていた。

なんだか、楽しい。
そして単純なことでも一つできるようになると次のことがしたくなる。

これが、結局今でも続いている。9年がもうすぐ過ぎようとしているけれど
まだまだ判らない事がたくさんあり、そして知りたいこともたくさんある。

先日、ベテランのフラメンコのカンテ(歌)を聴きに行った時、その方が仰っていた。

「もう、フラメンコと出会って30年あまり。未だにひとつわかるともっと知りたくなる。
そんなつきあいをしています。」

まだまだ先は長く広い。だから、今ひとつをわかること。
その歓びの数珠を繋げていこう。

テーマ : スピリチュアルライフな生き方 - ジャンル : ライフ

はじめに

大切なのは今という時間だった。
・・・彼は過去の教訓と未来の夢と共に
今を生きたいと思った。


“アルケミスト” より
パウロ・コエーリョ著山川紘矢・亜希子訳


ブログを始めようと思い立った。日々忙しく流れていく時間をときどき
切り取っては、確かめるために。テーマはカラダとココロ、そして生命
活動の核となる魂の世界。

徒然に想うこと、実践、そしてそれを伝える場としてのスペース。
まずは、今ここから始めてみようと思う。

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